最近はfacebookばかりですっかりブログは書いていませんでしたが、皆さんお元気でしたか? 石井です。 ブログタイトルもひそかに変えました^^

早速ですが、嬉しい知らせが届きました!

大腿骨骨頭壊死のリハビリで平スポに通われていたIさん。

主治医の先生から、
まだ壊死部は残るものの、大腿骨の加重部位では壊死が再生している事をMRIで確認され、これなら骨粗鬆症が心配になる年齢まで大丈夫とお墨付きを頂きました。 

「走ってもジャンプしても良いよ!」って言われたと嬉しそうな顔で報告してくれました。
(Iさんの主治医の先生はその世界ではかなりの権威)

MRIのコピーとともに後ろ姿のIさん

 

左右両側の大腿骨骨頭壊死(左右ともstageII 右typeC1 左typeC2)と診断され、昭和医大に通われていていたIさんが、平スポに来られたのはもう数年前です。

まだ子供も産まれたばかりで、手術はしたくない、何とかして少しでも保存出来ないかとの思いで、インターネット検索でたどり着いたのが平スポ(当時の名称は違います)でした。

その当時は、「大腿骨頭壊死の加圧リハビリならここ」となぜか評判で、日本全国から新幹線や泊まり込みで患者さんが訪れている状態でした。

僕はまずIさんに
・杖をつくこと
・体重をこれから先、絶対に増やさない事

を約束してもらいました。

僕は大腿骨頭壊死の方には必ずこと2点を守ってもらいます。大抵快く承諾して下さるのですが、なぜか年輩の方に限って杖を突くのを嫌がる方が多いですね。若い方は抵抗なく受け入れてくれます。

内容はここでは極秘なのですが、加圧トレーニングだけでなく、僕の持っている全ての手技を駆使してリハビリテーションを行います。

早い方で初回から、遅い方でも3週間くらいで、かなりの痛みから解放されるようです。

ただ、痛みが無くなったからと言って、壊死部が再生されている訳ではないので、ここから先は日常生活には慎重になってもらいます。もう痛くないと思って、油断して高いところから飛び降りたりして、「グシャッ」っと潰れてしまうなんて事にもなりかねません。自分が股関節が悪いという事を常に忘れないという意味も込めて杖をついてもらうのですね。

痛みのコントロールとともに、関節可動域の改善を目指します。
既に変形が強い方は、正常可動範囲まで戻るのは難しいのですが、壊死があっても変形の無い方は、かなりの可動域まで回復することが出来ます。

そして一番の目的は、壊死部の血行・血流・栄養状態の改善。 

これが出来ないと、再生は勿論、進行を止めることすら出来ません。

 

これまで、あまりに壊死の進行が早く、来られてから1~2カ月以内に手術になってしまった方が数名おられますが、そこまで進行の早くないほとんどの方では、壊死の進行を止める事は出来る様です。

 

大腿骨骨頭壊死で加圧でのリハビリテーションを検討されている方、いつでもご相談に乗ります。

加圧トレーニングを指導されている方で、思ったように大腿骨頭壊死のリハビリに効果が出ないと感じている方、圧設定やベルトの選択その他諸々コツが必要と感じています。いつでもご相談に乗ります。

ご相談はこちらまで
ishii☆athlete-net.com(☆を@に変えてください!)

※メールを頂く場合は、
必ずお名前(仮名でも可)
年齢・性別
今の病状や、いつからかこうなったのか
ご相談内容
など、わかる範囲で必ず記載してください。

よろしくお願いします。

Author Profile

石井 隆行
石井 隆行株式会社アスリートネット湘南 代表取締役Twitter:@hiraspo
 1969年静岡県伊東市生まれ
 
 静岡大学教育学部卒業
 呉竹鍼灸専門学校卒業
  
 針師・灸師・あん摩マッサージ指圧師
 NSCA CSCS
 小学校教員免許状
 中学校保健体育教員免許状
 加圧トレーニング特定資格者・加圧トレーニングスペシャリスト
 ケトジェニックアドバイザー
 ライフキネティックパーソナルトレーナー
    ほか・・・


静岡大学在籍時、「資格」も「技術」も「コネ」もない状態にもかかわらず
「オリンピックに選手を連れていく!」と豪語。

当時珍しい学生トレーナーの先駆者となるが、医療国家資格を持たない者が、選手の身体を触るのがご法度であった当時、テーピングを巻くどころかパートナーストレッチをする程度でも「あいつは資格を持っているのか?」と陰口をたたかれ、資格を取る事を決意。
大学卒業後、鍼灸マッサージの専門学校へ通う。

専門学校在学中に、スポーツ界では「応急処置や緊急時に資格なんていってられないだろ」という風潮が高まり、そこから済し崩し的に、卒業時には「誰でも」選手の身体を触ってもよい様な状況になっていた。
そんな状況に嫌気をさしつつも、自身の大学時代に専攻していたバイオメカニクスと手技療法を組み合わせた独自の手法が評判を呼び、「本当に信頼できる身体のスペシャリスト」と多くのアスリートから信頼を獲得、1996年のアトランタ五輪より5大会連続でクライアントのオリンピック出場に貢献する。

現在「平塚スポーツケアセンター」での活動を生業としつつ、
大学時代に描いたその夢を叶えながら、更に大幅修正を加え、現在に至る。