平スポに来ている方はご存知の通り、スタッフの豊田玲子が今月を以って退社します。
(すこし長文になりますので時間があるときにお読みください)

彼女と知り合ってからもう13年になるでしょうか。

初めて会ったのは、まだ僕が独立する前、フィットネスクラブのマッサージルームで働いていた頃。
そのクラブにインストラクターのアルバイトで入ってきて挨拶に来てくれたのが最初でした。

ありきたりの「何歳に見えますか?」という質問に対し、迷わず24(本当は27歳位だと思ってたけど)と応え、当時まだ19だった彼女に大ブーイングされたのは今でも鮮明に覚えています(^ ^)

理学療法士の専門学校に通っていたとはいえ、まだまだ何も知らず何も出来ずの彼女は、ほどなくして、その当時はまだメジャーではなかった「治療家&パーソナルトレーナー」という僕の職業に興味をもってくれて、暇な時間を見つけては職場に入り浸るようになってきました。

それからの彼女の変化、止どまることをしらない成長度合いは驚くべきものでした。

今思えば、
彼女の成長度合いと呼び名の変化は、正に出世魚の如く。

【豊田】から始まり
【ししょ】になり
【れーこ】になって
【とよ】になり、現在に至ります。

ちなみに今の呼び名【とよ】の名付け親は、あの朝日健太郎 笑

まずフィットネクラブのインストラクター時代の【豊田】から、【ししょ】に変わります。
僕の秘書のように常に横にいたのが語源ですが、ご存知の通り舌ったらずで「ひ」がまるで江戸っ子のように「し」になってじうので【ししょ】

【ししょ】はその頃、尾崎圭司選手(現 K1GYM横浜 代表)や白鳥勝浩選手(北京・ロンドン五輪代表)のトレーニングや施術に常について回り、時には一緒にトレーニングをし、そこで身体の見方の基本とトレーニングについての様々な重要事項を身につけていきました。

「ししょ」時代のtoyo。様々な選手のトレーニングや試合について回っていた。

「ししょ」時代のtoyo。様々な選手のトレーニングや試合について回っていた。

また当時色々な事で悩んでいた【ししょ】も、連戦戦勝街道まっしぐらの尾崎圭司選手の活躍には大いに勇気付けられ、その後の彼女の人生にも大きな影響を与えました。

連勝街道まっしぐらの尾崎圭司選手と

連勝街道まっしぐらの尾崎圭司選手と

 

そんな【ししょ】にも転機が訪れます。
ビーチバレーの現役選手としても活動していた彼女はインドアバレーで膝の前十字靭帯断裂、半月板損傷という大けがをしてしまいます。
自身の懸命のリハビリ、復帰へのプロセスを経ながら、さらに真剣に【人間の身体】を見つめ直すようになりました。

現在の彼女があれだけ人の身体を診ることが出来るのはこの経験があるからこそです。

 

そしてこの頃から【ししょ】は【れーこ】に変わります。
時期で言えば、ボディフィットネスクラブとしての競技時代でしょうか。

既に充分なトレーニング知識と経験を身につけていた【れーこ】は、本格的にこの競技を初めてわずか1年で全日本選手権準優勝、翌年、世界選手権代表、そして、さらなる成長を期待される中、競技引退とまさにスコールのようにボディフィットネス界を引っ掻き回し一瞬で去って行きました。

デビュ−2年目で世界選手権代表へ

デビュ−2年目で世界選手権代表へ

「鬼の背中」を持つ女 やはり独特な身体をしていました

「鬼の背中」を持つ女 やはり独特な身体をしていました

その引退の真相は、彼女の講演を聞きたことのある人ならご存知でしょう。そこは割愛します。

そこからさらに【とよ】に出世します。
この頃から僕は少しずつ【とよ】に選手達の身体を触らせ始めます。
それだけの技術はついてきた、あとは経験のみと判断してのことでした。

特にトリこと白鳥勝浩選手については完全に専属トレーナーのようについてもらいました。徹底的に身体を追求する【とよ】の性格で、3時間は当たり前のようにトリの施術に時間を費やしました。

まだその頃のトヨの施術は、常に「65点」「悪くはない、けどもう少し 笑」とトリに言われ続け(平スポの65点は他の施設なら充分100点だと思いますが)、仕上げは僕がやるという状態がしばらく続いていました。それでも、僕がいなくても残りの35点を、笑顔と明るさで埋めることが出来ました。

そう【とよ】の一番の武器は、明るさと笑顔。その明るさと笑顔に、選手だけでなく、僕も何度も救われています。

ロンドン五輪直前のTOYOとTORI

ロンドン五輪直前のTOYOとTORI

65点だったトヨは、そこから加速度的に成長して行きます。
きっかけはスタジオレイの加瀬玲子先生でしょう。スタジオレイと業務受託契約し、【とよ】がスタジオのお客様にパーソナルトレーニングを担当する傍ら、これまでの技術と経験に、さらに呼吸という加瀬玲子先生のメソッドが加わりました。

貪欲な【とよ】は、いつでも現場に満足せず、様々な経験をし、加瀬先生だけでなく、その世界の一流と呼ばれる方達に大事な事を教わり、いつしか、僕から教える事はほとんどなくなり、どんな方が来ても圧倒的な効果を出せるようになりました。

集大成に行ったトヨセミナー 大好評でした

集大成に行ったトヨセミナー 大好評でした

この先の【とよ】、平スポを辞めた後は美の世界へ足を踏み入れます。

平スポにも来られる森重樹一さんや、EXILEのATSHUSHIさんなど一流芸能人だけでなく、世界中のセレブ達・財界人・はたまたローマ法王までに絶大の支持を受ける川崎和雄先生のところへ行きます。

しかも世界展開し海外へ出店するスタッフの教育係として。

平スポで様々な修羅場?をくぐり抜けてきた【とよ】だからこそ、僕は何処へでも自信持って送り出す事ができます。

お客様から「社長、さみしいでしょ?」って聞かれます。

はい。寂しいです。

今の平スポがここまでになったのも、トヨがいたからかそです。
経営者の立場からすれば、退社に関して納得できない部分も少しあります。

しかし、これまでずっと13年間、育て上げてきたという自負からすると

何て言うのか・・・

きっと娘を嫁に出す父親の気持ちってこんな感じなのでしょうね。寂しくもあり誇らしくもありって感じです。

ただ、縁が切れてしまう訳ではありません。

【豊田玲子】には、これから当社のアドバイザーとして、これからも名を連ねてもらいます。

いつしかさらに成長して、今よりもっともっと、誰にもできない事を出来るように。

それまでこれからも頑張りましょう。

これまでたくさんありがとうね。

石井隆行

Author Profile

石井 隆行
石井 隆行株式会社アスリートネット湘南 代表取締役Twitter:@hiraspo
 1969年静岡県伊東市生まれ
 
 静岡大学教育学部卒業
 呉竹鍼灸専門学校卒業
  
 針師・灸師・あん摩マッサージ指圧師
 NSCA CSCS
 小学校教員免許状
 中学校保健体育教員免許状
 加圧トレーニング特定資格者・加圧トレーニングスペシャリスト
 ケトジェニックアドバイザー
 ライフキネティックパーソナルトレーナー
    ほか・・・


静岡大学在籍時、「資格」も「技術」も「コネ」もない状態にもかかわらず
「オリンピックに選手を連れていく!」と豪語。

当時珍しい学生トレーナーの先駆者となるが、医療国家資格を持たない者が、選手の身体を触るのがご法度であった当時、テーピングを巻くどころかパートナーストレッチをする程度でも「あいつは資格を持っているのか?」と陰口をたたかれ、資格を取る事を決意。
大学卒業後、鍼灸マッサージの専門学校へ通う。

専門学校在学中に、スポーツ界では「応急処置や緊急時に資格なんていってられないだろ」という風潮が高まり、そこから済し崩し的に、卒業時には「誰でも」選手の身体を触ってもよい様な状況になっていた。
そんな状況に嫌気をさしつつも、自身の大学時代に専攻していたバイオメカニクスと手技療法を組み合わせた独自の手法が評判を呼び、「本当に信頼できる身体のスペシャリスト」と多くのアスリートから信頼を獲得、1996年のアトランタ五輪より5大会連続でクライアントのオリンピック出場に貢献する。

現在「平塚スポーツケアセンター」での活動を生業としつつ、
大学時代に描いたその夢を叶えながら、更に大幅修正を加え、現在に至る。