平スポ石井です。

競輪の新田康仁選手(S級1班 静岡)

 

元々最高峰のS級S班にも所属し、今でも超強い選手なのですが、全盛期のキレを取り戻す為、平スポに定期的に通っています。

ここ数カ月の彼の要望は
 だいぶ調子は戻ってきた感じはするんだけど、
   「もっとこう、スイッチを入れたい」
   「もっとこう、キュッと・・・」
   「良い時はグイ~ンって行くんだけど・・・」

新田選手は、本当に繊細な感覚を持っているので、こういった微妙な感覚を大切にし、これを元にトレーニングやコンディショニングプランを組み立てていきます。

僕たちは、こういった言葉から、
  どこが原因でそうなっているのか
  どうすれば解決できるのか
様々な観点から敏感に感じ取り、身体や動作を観察し、様々な提案する訳です。

トレーニングだけでは解決できないかもしれない。
身体の関節や筋肉・筋膜、そのた諸々の調整だけでも解決できないかもしれない。
身体の使い方を覚えるだけでも解決できないかもしれない。

このあたりは、やはり知識だけでなく、どれだけ選手を見てきたかという経験も重要です。

その繊細なトレーニング現場は、今流行りの「ファンクショナルトレーニング」などという安っぽい言葉ではとても表現できないほど繊細なものでもあり、「なんちゃってスポーツ整体」なんかでは対処できない微妙な感覚も要求されます。

新田選手は先日行われた一宮競輪で見事優勝!!
おめでとうございます!!!

今回のレースは、ここ最近とは明らかに身体の使い方が変わっていました。

これは優勝以上に嬉しいですね。

下に2本の動画のリンクを張ります。

最初は9月1日の松戸競輪準決勝
二つ目は優勝した一宮競輪の準決勝(11月13日)

2レースとも1番車(白色のユニフォーム)2レースとも1着。
どちらも新田選手の強さを表したレースですが、違いがわかるでしょうか?

2つ目のレースの動きは、トレーニングの中で追い求めていた物がかなり出始めていると思います。この違いがわかる人は平スポのトレーナー向きかもしれません!

「全然わからない」って人、それがたぶん普通です。

松戸
松戸競輪準決勝をみる時はこちらこクリック(白の1番車)

 

一宮
一宮競輪準決勝をみる時はこちらをクリック(白の一番車)


まだ、優勝後の新田選手とは会っていないので、今からまた話すのが楽しみです。

今回の優勝で決して満足する訳はなく、またこのレースのフィードバックから始まり、更なる高みを目指して行きます。

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Author Profile

石井 隆行
石井 隆行株式会社アスリートネット湘南 代表取締役Twitter:@hiraspo
 1969年静岡県伊東市生まれ
 
 静岡大学教育学部卒業
 呉竹鍼灸専門学校卒業
  
 針師・灸師・あん摩マッサージ指圧師
 NSCA CSCS
 小学校教員免許状
 中学校保健体育教員免許状
 加圧トレーニング特定資格者・加圧トレーニングスペシャリスト
 ケトジェニックアドバイザー
 ライフキネティックパーソナルトレーナー
    ほか・・・


静岡大学在籍時、「資格」も「技術」も「コネ」もない状態にもかかわらず
「オリンピックに選手を連れていく!」と豪語。

当時珍しい学生トレーナーの先駆者となるが、医療国家資格を持たない者が、選手の身体を触るのがご法度であった当時、テーピングを巻くどころかパートナーストレッチをする程度でも「あいつは資格を持っているのか?」と陰口をたたかれ、資格を取る事を決意。
大学卒業後、鍼灸マッサージの専門学校へ通う。

専門学校在学中に、スポーツ界では「応急処置や緊急時に資格なんていってられないだろ」という風潮が高まり、そこから済し崩し的に、卒業時には「誰でも」選手の身体を触ってもよい様な状況になっていた。
そんな状況に嫌気をさしつつも、自身の大学時代に専攻していたバイオメカニクスと手技療法を組み合わせた独自の手法が評判を呼び、「本当に信頼できる身体のスペシャリスト」と多くのアスリートから信頼を獲得、1996年のアトランタ五輪より5大会連続でクライアントのオリンピック出場に貢献する。

現在「平塚スポーツケアセンター」での活動を生業としつつ、
大学時代に描いたその夢を叶えながら、更に大幅修正を加え、現在に至る。