だって、教えたらみんな強くなっちゃうでしょ。

平スポ石井です。 image

人には教えたくないサプリメントNo.1を今日は特別にご紹介!
なぜ教えたくないか?
このサプリメントは、実は 平スポにくるアスリート達が「段違いに夏に強い秘密」の一つだから。
でも危険な暑さ。熱中症対策に有効なサプリメントでもあるので、 このブログをご覧の皆さんにだけ特別に教えてしまいます(かなり宣伝っぽいぞ^^;) 942393_441797055927728_1478883255_n 「グリセリンローディング」
このサプリメントのすごいところは、グリセリンを粉末化に成功したところ。
このグリセリンパウダー1包をを通常は500mlのミネラルウォーター等に溶かし、運動の約2時間くらい前からチビチビと飲むのがコツ。
それにより、通常以上に体内に水分が蓄えられ、また運動中の余計なミネラルの脱出を防いでくれます。
使った人の感想は
「炎天下でも、ダタダラ流れ続ける様な汗が出にくくなる」
「後半のバテが無く、スタミナが上がる気がする」
「夏には欠かせない」
「人には絶対教えたくない。教えないで下さい(おしえちゃいまいた^^;)」
「あまりに効きすぎるので、ここぞという時に使いたい」 などなど・・・
勿論効果には個人差がありますし、あくまで薬ではなくサプリメントです。が!! 本当に良く効くサプリメントなのです。 さて、ここからは少し専門的な話。

食べ物<の中の脂肪分は、小腸で脂肪酸とグリセリンとに分解されて吸収されます。体内に吸収されたグリセリンは、再び脂肪の形で蓄えられていて、一部はごくうすい濃度で血液や細胞間液、細胞内に溶け込んでいます。このような体液に溶けているグリセリンは、エネルギー源としても使われています。 さて、グリセリンの水溶液を飲むと、水とグリセリンは、まったく別の道筋をたどって血管に入ります。 グリセリンは、小腸で吸収されて、細いリンパ管の中に入っていきます。 細いリンパ管は集合して背骨の前を走っている胸管と呼ばれる太いリンパ管に集まります。胸管の中を流れるグリセリンは首のあたりにある静脈角というところで、静脈の中に注ぎ込まれます。ここは幾本かの太い静脈が合流しているところで、これが心臓に流れ込みそこから肺を経て、再び心臓に戻って、大動脈の流れとともに全身に送り出されます。 一方水は、小腸ではなく大腸で吸収されます。そして、そのまま血液の流れに入ります。 通常であれば、水はすぐに血液を薄くして血管の中を流れるので、腎臓で尿としてすぐに排泄されてしまういます。 それがグリセリン水溶液摂取した場合では、血液に、静脈角のところで適量のグリセリンが混じっていく為、浸透圧が高くなり、水はグリセリンと一緒に血管から細胞間液にそして細胞に入り込みます。したがって、血管を流れる血液の量は一定に保たれ、適度なグリセリンの濃度のおかげで、視床下部のセンサーの微妙な調整作用で、抗利尿ホルモンがふえて、尿として排泄される水分も少なくなります。 このようにして、保水、ハイパーハイドレートの状態が出来ます。ハイパーハイドレートになれば、高温で持続的な運動をしていても、水分は尿として出ず、汗に出て体温を調節できることになります。

グリセリンローディングは平スポで絶賛発売中 10本入 ¥2,000(税抜き)

 

※この記事は2013年7月に平スポのfacebookページで公開した記事に加筆訂正を加えた物です
https://www.facebook.com/hiraspo1/photos/a.126537340787036.25781.125168844257219/441797055927728/?type=1&permPage=1

Author Profile

石井 隆行
石井 隆行株式会社アスリートネット湘南 代表取締役Twitter:@hiraspo
 1969年静岡県伊東市生まれ
 
 静岡大学教育学部卒業
 呉竹鍼灸専門学校卒業
  
 針師・灸師・あん摩マッサージ指圧師
 NSCA CSCS
 小学校教員免許状
 中学校保健体育教員免許状
 加圧トレーニング特定資格者・加圧トレーニングスペシャリスト
 スキンストレッチ本部メイン講師
 ケトジェニックアドバイザー
 ライフキネティックパーソナルトレーナー
    ほか・・・


静岡大学在籍時、「資格」も「技術」も「コネ」もない状態にもかかわらず
「オリンピックに選手を連れていく!」と豪語。

当時珍しい学生トレーナーの先駆者となるが、医療国家資格を持たない者が、選手の身体を触るのがご法度であった当時、テーピングを巻くどころかパートナーストレッチをする程度でも「あいつは資格を持っているのか?」と陰口をたたかれ、資格を取る事を決意。
大学卒業後、鍼灸マッサージの専門学校へ通う。

専門学校在学中に、スポーツ界では「応急処置や緊急時に資格なんていってられないだろ」という風潮が高まり、そこから済し崩し的に、卒業時には「誰でも」選手の身体を触ってもよい様な状況になっていた。
そんな状況でも、大学時代に専攻していたバイオメカニクスと手技療法を組み合わせた独自の手法が評判を呼び、「本当に信頼できる身体のスペシャリスト」と多くのアスリートから信頼を獲得、1996年のアトランタ五輪より5大会連続でクライアントのオリンピック出場に貢献する。

現在「平塚スポーツケアセンター」での活動を生業としつつ、
大学時代に描いたその夢を叶えながら、更に大幅修正を加え、現在に至る。